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こんばんは。
人手不足によりとっても不思議な時間帯の出勤&休憩時間の偏りがある日でした。って言葉から始まる記事でしたが、仕事の愚痴しかねえのか!って記事だったので書き直しました。
というか、テレビ見てたら、色々考えたのでそっちを書きます。
「~許してはいけない」「~してはいけない」
という締めくくりの文章と
「~になってほしい」「~しないようにする」「~する・し続ける」
という締めくくりの文章を、よく聞きました。皆さん何のことかわかっておられると思いますが、毎年この日はそうでしょう。日本ならばどの場所でも、多少なりともテレビでやってるはず。
以下続きから。長め。日本語が下手。「読むんじゃない!感じるんだ!」(殴)
人手不足によりとっても不思議な時間帯の出勤&休憩時間の偏りがある日でした。って言葉から始まる記事でしたが、仕事の愚痴しかねえのか!って記事だったので書き直しました。
というか、テレビ見てたら、色々考えたのでそっちを書きます。
「~許してはいけない」「~してはいけない」
という締めくくりの文章と
「~になってほしい」「~しないようにする」「~する・し続ける」
という締めくくりの文章を、よく聞きました。皆さん何のことかわかっておられると思いますが、毎年この日はそうでしょう。日本ならばどの場所でも、多少なりともテレビでやってるはず。
以下続きから。長め。日本語が下手。「読むんじゃない!感じるんだ!」(殴)
政治や団体のことなど私には語れませんので、一番身近な、友達とか職場とか、そういう小さなところでしか考えることができません。その小さなものが集まって、大きなものになると思うのです。しかしその小さなもの全てがそうなる(”自分”が思う理想的な状態になる)ことは出来ないから、願って、自分自身や周囲が、目指す理想を心に、少しでも近づき、誰かとその気持ちを共有することが、一番地道で一番近道で唯一の”平和”(平和を実現しようとすること)なのではないかと、若輩者の私は思うのです。
許しあうこと、認め合うこと、尊重しあうこと、というのが、
私は、大事なことではないかと思っています。
許しあう・認め合う、というのは、例えば家族になるなら必要なことだと思います。浅い友人なら多少許せなくても、浅く付き合うだけだから障害にはならないでしょう。まぁ浅く付き合うっていうこれは、過ごしやすく生きるためのひとつの方法でありますので…って話がズレたΣ
いっしょにいると決めた人、一緒にいなければならない人、ならば、理解し合えないと、ケンカばっかりでしょうね。ケンカして理解しあえるならいいですけれど、そうじゃないただの嫌い合い・誤解し合いは、お互い不快ですし、悲しいことだと思います。それを解決するための手段のひとつとしても(時にトラブルの原因にもなりますが)人間は言葉を持っているのに。
許しあう、というのができても、尊重し合うことを忘れたら、そこから崩れるように思います。片方がひたすら許して、片方が傍若無人に振舞うなんて、本人たちがそれでいいならまだしも(そこに一片の愛があるなら、もしかしたらありえる状況かも。なんにしろあまり想像できません)、…うーん、上手いこと言葉になりませんねー。フィーリングで言いましょうかね。おかしくないですか??そう、そう。許す本人が良いと思っているとしてですね。じゃあ、その人の友人の気持ちは、どうしたらいいですか?よしこれだ。
その人の友人もまためちゃくちゃ許す人で、その人を許していたとしても…
…だめだ、この理論は破綻しそうだ。IFでは語れない事柄だった。解法を間違えた数学の問題のような感覚を、久しぶりに味わいました…。
はい!改めまして。
どうして尊重しあうことが大事だと、私は思うのか、その理由を述べよ。という問いなわけですが…。実は、許しあう、認め合うよりも随分あとに、尊重しあう、という考えを自分のものとして得たのです。
譲れないことだって、それぞれあります。
それが何なのか、知り合って、できるだけ許しあって、歩み寄って…
この許し合い・認め合いの先にあるものが、尊重しあう、かなぁ。
だから、譲れないものはあるから、時にそこがぶつかり合うことだってあるでしょう。それを頑張って話し合ったり、理解する努力をしたり、相手の気持ちを考えたり、ギリ許せるとこは譲ったり、ただし自分の譲れないところは揺らさずに、そうやってしていくことが、尊重しあう、こと、かなぁ。
…で、なぜそれを大切だと思うのか?…。…なんでだ?(´・ω・`)
個人的なことで言うなら、これまでの経験上、これをすると分かり合えると学んだから。
くそ、誰ひとり説得できねえ日本語だな。もう今はこれ以上出てこないから諦めます。
言語化って難しい~~。
やっぱり、一番ありきたりな言葉でしか表現できないものに、行き着くのですね。
で、ここまで書いておきながら振り出しに戻っていいです?戻りますね←
「~しない」と「~しないようにする」では、何が違うのか、分かりませんが、後者のほうが強い意思があるように伝わる気がするのです。私だけかなー?
あ、でも「忘れない」は、もうそれだけで強い気がする不思議。
「許さない」、否定はしないです。「繰り返さないようにする」ならば、未来につないでいける気がしませんか。どうでしょうか。「語り継いでいく」。うん。
「しちゃいけない」→普通に生きていれば恐らく原因にはならないでしょうよ…。
「しないようにする」→私たちにも、何かできることがあるかもしれないですね。
っていう、聞いた側(私)の思いの違いが生じて、ちょっとびっくりしました。
そもそも私が、否定の言葉が非常に嫌いなので(←否定してんじゃねえか!)、だからかもしれませんね。
「許しあう」「認め合う」「尊重しあう」それでも起きてしまったこともあるのです。「許さない」を否定しません。でも繋ぐ私たちは憎しみにつながりうる「許さない」を受け継ぐよりも「作らないようにする」「使わないようにする」「繰り返さないようにする」「語り継いでいく」「平和になるようにする」そういう「~する」で繋いでいけたら…と、思うのです。
いかがでしょうか。私はやっぱり甘いのかな?当人じゃないときっと、色々言えないのでしょうけれど、でも、この日だけは、こうして考えたのだよと、少なくともこの考えるきっかけになっているのだよと、書いています。
何もかも、聞いて、想像するしかない。悲しい。だけどそれを推し量り、この日だけは思い出すようにする。尊重して歩み寄ることに似ている気がします。
こういう形でつながるものも、あっていいかな…?
とにかく、毎年、思い出すことは本当です。
年齢を重ねるにつれて感じ方も変化して、嫌いだった歴史の授業の意味を今更感じたり、こうやって考えたりしてます。出来ることは、少ないですね。
毎年、いろんな考えを得て繋がればいいと、今年、今日は思いました。
では!
今日も来てくださった方、ありがとうございました!
また遊びに来てくださいねー!
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